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バーチャルインタビュー 2002/3/14
MML5万アクセス記念特別企画 ヴァーチャルインタビュー特別版
お客様:ムサシノ模型飛行機研究所所長 島崎 孝さん
リリエンタールに感激MML:MMLホームページもありがたいことに5万アクセスを突破し、もうすぐ6万に届こうとしています。これもひとえに皆さんの応援、モスキートモス号の魅力の結果だと思っています。そこで、5万アクセスを記念しまして、ムサシノ模型飛行機研究所所長・島崎孝様にヴァーチャルインタビューをお願いいたしましたところ、快くお引き受けくださいました。激務のなかこのたびは大変ありがとうございました。どうぞよろしくお願いします。早速なのですが、島崎さんがラジコン飛行機をはじめようとしたきっかけは何だったのでしょうか? 島崎:小さい頃から飛ぶ物が好きで、小学3年生頃は兄の作ったライトプレーン(ゴム動力機)を譲り受けて遊んだり、中学生の頃、図書室にあった写真のたくさん掲載されている模型の飛行機の本で、模型のグロー、ロケット、ジェットエンジンの存在を知りました。
MML:自分も小学生くらいの頃、リリエンタールのグライダーがたくさん載っているカレンダーが家にあって、それで彼の事を知りました。「犠牲は避けられない」と言ってチャレンジし続けたことにも多いに感動しました。私もモスキートモス号の初飛行のときは同じ言葉をつぶやきました。彼と同じように、「恐れていては進めない」と。 島崎:高校1年の時、クラブ活動の自動車部で知り合った友人がRCをやっていて、彼の持っていたフタバのシングルボタン打ちのセットを安く払い下げてもらったのがRCと初めての接触でた。 MML:初めて飛ばしたのは何だったのでしょうか? 島崎:ヒノデ、今のテトラのスカイビームです。高校時代には7−8機作りましたがキットを作ったのはこれ1機だけで、お金も無かったこともあり後は全て自作でした。このスカイビームも前日墜落させたのが原因か、メカトラブル、ノーコンで天に召されてしまいました。 MML:島崎さんはスタントなどはしようと思わなかったのですか? 島崎:お気楽なスタント?は今もしていますがF3Aのような競技規定に沿ったものはあまり興味がありません。大変だもん。 MML:私も決まった通りに正確にするということはどうも性に合わず、カッコイイと思いつつもこれから先もやることはないと思います。たまに見物人がいるときは宙返りやラダーロールのへっぽこ演技を見せるくらいです。
島崎:仕事のストレスが溜まったり、良い天気で風が無い夕方などに無性に飛ばしたくなります。そんな時は徒歩200歩の田園飛行場に出かけます。 MML:さすが開発元、テスト飛行場が隣接しているのですね。島崎さんが良く飛ばす機体は何ですか? 島崎:その時の気分で機体は違いますが、今はモータープレーンを中心に開発していますので、パストラルやEプレイリーが多いです。徳安さんには申し訳ありませんが4年前にどうしてもこのモスキートがほしいと言う人に機体を譲ってしまい、今私の手元には飛ばせるモスキートモス号がありません。早く作らないといけないと思っているのですが… MML:へえ、ワークスのモスキートモス号は今はないのですね。しかし島崎さんから譲っていただいたと言うことは凄く値打ちのあるものになるのでしょう。ところでメーカーさんはよく新機種発表をかねてRCページェントなどに参加したりしているようですが、ムサシノさんが今後参加する予定はありませんか? 島崎:今のところありません。 MML:そうですか。多くの人の前で優雅な飛行をするというのもいいかな、と思ったりもします。
島崎:ジョギング、ウォーキング。野良仕事、あとはバードマン関係かな。最近はかみさんの付き合いも多くなりつつあります。 MML:野良仕事ですか。時々なら楽しいかな?ちなみに何の野菜ですか? 島崎:野良仕事といっても作業場の裏に借りている農地の草むしりや近くにある実家の米作の田植や収穫の手伝いくらいです。 MML:なんだか自然が一杯でいい感じですね。
島崎:よくも悪くも「ガンコ!!」でした。良い話かどうか分かりませんが、1970年後半の頃、安売りセット販売で業績を伸ばしていたある模型店から、問屋を通さず直接キットを入れてほしいとの依頼をして来たのに対して、「出ていけ!」と一喝したことがありました。 MML:うーむそれは迫力があったでしょうね。よい飛行機をつくることにもとてもガンコだったから、すばらしい飛行機もたくさん生まれてきたのでしょう。そのムサシノ模型飛行機研究所ですが、島崎さんの入社はいつ頃ですか?どういった経緯で入社されたのでしょう? 島崎:1976年頃ラジ技誌に掲載されていたムサシノの従業員募集記事を見て応募しました。館林氏の声の若さ、元気さにびっくりしました。 MML:入社当時のムサシノはどういう会社でした? 島崎:家内制手工業です…現在に至る。 不安よりも嬉しさMML:腕一本で生きていくようなものですよね。不安はなかったのですか?島崎:その頃の模型業界はどこも同じような製造方法でしたので特別不安はありませんでした。それより「自分自身で作ったキットが誰かの手で作られて飛ぶんだ」ということの「嬉しさ」を感じていました。 MML:そうですね、でも逆にユーザの立場ではこうやってお話を聞いたり、ホームページ、今は閉鎖されていますが、ムサシノの考え方や掲示板でのファンのトークを聞いていても、こうやって一人の人の手から素晴らしいムサシノのキットが作り出されているということは実に素晴らしい、感動を超えて不思議すら感じる思いです。
島崎:今現在製造している機体はどうしても改良点、マイナス面の方が気になってしまいます。今まで一番印象に残っている機体と聞かれればズバリ!「リトルホーク」です。
MML:リトルホーク号はいつか飛ばしてみたい機体リストの筆頭に上がっているんですが、私の操縦の腕がもう少し確かになれば、と思いまだ作ってはないんです。
島崎:ホープ26です。プレイリーでさえも18年前のキットよりマイナーチェンジされていますから作業量はかなり増えています。主翼前縁部の加工等です。 MML:そうですね。あれを全部手でやっているとなると本当に凄いと思います。それに部品がきちんとゴムでまとめてあって、小さいパーツはビニールに入ってホッチキスが打たれていて…ちょっと考えると凄い作業量です。
島崎:たぶん「ツインプラム号」と思います。 MML:あの機体は確かラジコン技術で見たことがあるのですが、片肺でも飛べるという大サイドスラストが大発明だと驚いた記憶があるのです。私はあの機体は好きなのですが、なんで売れなかったんでしょうね。 島崎:フリースタイルの双発機ということもあり、あまりカッコよくなかったのでしょうね。 MML:そうですか。でもそういうことになるとツインプラム号のキットや完成機のきれいなものはプレミアが大きくつくかもしれませんね。
島崎:バルサのキットは材質や精度が微妙に違ってしまって厳密に言うと価格はどれも同じではないはずですが、ユーザーの方には同じ値段で買って頂いていることにやや心苦しさを感じています。でも、当たり前のようですが、材質面で部品を交換しなくてもそのキットの中身だけで機体を組み立てられることを最低限の基準として仕事に取り組んでいます。これからも作っても、飛ばしても、「良かったな」と思ってもらえるRC機を開発製造して行くつもりです。 館林さんもお気に入りMML:私はモスキートモス号のキットを3機分入手したのですが、これについては材料も、加工も、なんらの疑問をもたなかったですよ。むしろコピー機と言うか、HW型(注:開発中のモスキートモス号ベースの巨大翼実験機)を作ることでリブやいろんな部材の加工が難しいことが分かりました。リブは糸鋸で一発で切り出しているものもありますね(SW2など)。やってみるといかにすごいことかがわかりました。次はモスキートモス号の機体のことをお伺いしたいのですが、設計は館林さんですが、島崎さんはこの機体の開発にどのようにかかわったのですか? 島崎:館林氏がモスキートモス号を設計した頃は私はただの製作スタッフでしたので私のやったことと言えばテスト機製作のみです。 MML:そうですか。入社2年目頃ですよね。その館林さんはモスキートモス号をかなり気に入っていたようですが、モスキートモス号について何かおっしゃっていましたか? 島崎:「自分でも変な(変わった)飛行機を作ったもんだよナー!」と言った言葉が記憶にあります。ムサシノのビデオ「鳥シリーズの飛行」の撮影の時、低速飛行性能を改めて実感しているようでした。「鳥シリーズの飛行」テープには映っていませんが、撮影ではモスキートモス号のハンドキャッチのシーンも撮りました。 MML:真似すると危ないからテープに入れなかったのでしょうかね?でも実際うちの機体でもつかむことが出来ました。蚊を叩くよりは簡単です。縁起でもないことでしょうか(笑)
島崎:洗練されたデザインとは言えませんが、飽きの来ない型だと思います。 MML:初めはなんてアンバランスなんだと驚きましたが、よくよく見ていると各部がとても幾何学的にかちっとしている感じがしてくるんです。曲線とか、割り切れない比率の角というものがないですよね。恐るべきセンスだとあとで勝手に恐れ入ってしまいました。でも、どうして胴体があんなふうに「ししゃも腹」なのでしょうか?理由はあるんでしょうか? 島崎:低速性、安定性、軽量化等を追求していった結果、あのような形になったのでしょう。一般に飛行機はその目的や特性を考えて設計されます。性能の良くない飛行機は淘汰され、結果的に残った機体はいろいろな面から観ても優秀であり、それがカッコ良い物となったのではないのでしょうか。
島崎:おそらく世界中のエンジン機のラジコンキットの中で、最もゆっくりと飛ばすことができ、安定性もあり、失速特性の優れた機体ではないでしょうか。 「異端」でも自信ありMML:私も本当にそう思います。設計当時はさほど今みたいにどこも飛ばすところがない、というような時代じゃなかったと思います。そんな時にこんな「異端」の極致のような機体を発売することに、ムサシノさんとしては不安はなかったのでしょうか?島崎:ムサシノから発表された機体の半分はある意味異端(?)でしたので館林は不安は無かったのでしょう。自信がないものは発売しなかったでしょうね。 MML:そうですね。理論に基づいてしっかりと設計されているから、それに長い経験で自信を持って発売できるのでしょう。
島崎:エピソードと言えばやっぱりナべさん(渡辺さん)の印旛沼縦断飛行です。かつてはRC機での名神高速道や海峡横断などありましたが、10クラスの低速機でチャレンジは大変印象的でした。 MML;そうですね。あの記事は先日インターネットの古本屋で見つけて買いましたが今読んでも大変感動的で凄い話です。
島崎:グローエンジンがRCのパワーソースとして無くなってしまうことは今後も無いと思いますが、モーター機は益々増えてくると思います。
MML:私は電動が嫌いなのではなく、エンジンが大好きなのですが、これからも静かに飛ぶエンジン機をどんどん開発していっていただきたいと思っています。電動も今後もっと進んでいくでしょうね。未来がある世界だと思います。
島崎:最初は上反角部のリブは完全に接着しないで、他のリブを接着してからもう一度ゲージを使い正確な角度になるよう調整し、接着し直すとうまく行きます。また、上反角部のリブは接合部がピタッと合うようにあらかじめ反りなどを修正しておくことも大切です。 MML:あの上反角を決める継ぎ目がぴたりと無駄なく接着できれば気持ちいいだろうなあといつも思っています。それともうひとつ、胴体の三角トラスを取り付けるところの工作がみんな難しいと言っていますが、これも何かいい方法はありますか? 島崎:胴体前部と後部を接合する部分のことでしょうか?ここでしたら胴体前部の後部胴体接合部を平板上に固定します。シシャモの腹部は平板からはみ出します。胴体の中心線を確認しながら胴体後部も平板上に固定して、胴体後部下面が一直線になるようにします。接合材のF40がピッタリ合うようにサンドペーパーを使って整形し、エポキシ接着剤を接着部にタップリ塗り硬化させます。
MML:初めてではちょっと怖気づいてしまいそうですが、実際私も組み立てをやってみると作業はとても楽しく出来ました。
島崎:今のところ予定はしていませんが、今「パークプレーン」と呼ばれているような機体は作ってみたいと思っています。 バルサはベストな素材MML:ムサシノ発パークプレーンと言うのは、現代版リトルチェリー号のようなものを想像してしまいます。とても楽しみですね。やはり、パークプレーンもバルサキットで実現されるのでしょうか?ムサシノさんとしてはバルサへの思い入れというのは?島崎:電動パークプレーン等は発泡スチロールやスチレンペーパー製のものが多いようですが、最近のRC機はスタント機やファンフライ機等立体的な飛行種目が多くなってきたせいか、軽くて丈夫な飛行機を作る為にバルサが再び注目されてきているのではないのでしょうか。
MML:私もバルサは大好きです。不器用でも削りこんでいけばなんとかなりますし、これが軽くて丈夫なのですから素晴らしいです。究極のバイオ素材、とでも呼びたいほどです。
島崎:「RC機を諦めていたのにムサシノのRC機でラジコンを始めることが出来ました。」と言ってもらえた時です。ついこの間,1月29日も、北海道のある20代の人から他のメーカの完成機を4機壊してしまい、スカイカンガルー号に出会って飛ばせるようになったとの電話がありました。こんなときはえも言われぬ充実感を味わうことができます。 逆境にも負けないMML:いい話ですよね。私のインタビューした人にもそんな人がありましたし、掲示板でもよくお見受けします。そんな話を聞いていると自分のことを思い出して、うれしい気持ちが伝わってくるように思います。逆にムサシノ模型や島崎さんにとって辛かった時期というのはありますか? 島崎:1980年代中頃、ラジコン界がスタント機一辺倒の頃「あんなのラジコンじゃーないよ」なんて陰口を叩かれていた頃でしょうか。でも、「昔はスタント機をやっていたんだが…もうあの速さについていけなくなってしまった」と言って今はプレイリー号を飛ばしているという人が90年代に増えてきたりしました。 MML:そんな雑言、館林さんはさぞお怒りだったでしょう。その時、ムサシノファンというのはいなくなってしまったのですか?それともただ反対の人が威勢が良かっただけなんでしょうか? 島崎:あれはラジ技誌等マスコミを含め一つの流れみたいなものだったのでしょうね。その流れに対抗する手段として「ムサシノ通信」を発行してムサシノの、館林の考えを広めようとしました。
島崎:あまり他社の機体に接する機会がないので個々の飛行機については何も言えませんが、加藤無線(株)さんのキット作りの姿勢、品質は私自身が目指すところです。 MML:そうなんですか。MKさんですね。私はまだこちらの製品は作ったことがないのです。
島崎:一つの機体だけをテーマにしてサイトを創られるのはすごいことと思いました。今後もどんなふうに充実されるのか楽しみです。 MML:島崎所長お忙しい中どうもありがとうございました。これからもモスキートモス号ファン、ムサシノファン、そしてまだ見ぬこれからのファンたちのために楽しい機体を作りつづけてください。
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